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2009年 06月 08日
昨日電車を寝過ごして路頭に迷った際、
自分の身の危険は大して感じていなかったのだけれど、 今日直接話した人、ブログを見た人から 「危ないから本当にもっと気を付けなさいよ」と言われ、 自分の能天気さを反省した。 危ないから反省、というよりも(もちろんそういう点でも反省したけれど)、 もしかしたら通り魔に刺されて死んでたか、暴行受けてたか、 色々いろいろ酷いことになった可能性はあって、 それなのに1ミリも迷いなく「でも私は平気だろう」と思っていた鈍さを省みる。 こういう認識に、私の「私が世界の中心」感がにじんでいると思った。 世界の中心と言っても、 その世界はみんながいる世界ではなく西尾ワールドとでも呼んだ方が近くて、 一人で歩いているとき、大抵私はそこに閉じこもっているのだろうと思う。 (どうでもいいけど、だから乗り換えもよく間違えるし、忘れものをするのもこれだと思う) それはたぶん、コミュニケーションを拒絶する姿勢からそうなっている。 他人や周りの世界よりも、自分の頭の中にずっと興味がある状態だ。 死にたいと思う人の気持ちが私は全く分からないのだけれど、 もしかすると私は、生きることを正しく望めているわけではないのかもしらんと思った。 生きることが自明になりすぎていて、 そうすると時間はのんべんだらりと続いて、 一瞬一瞬は死んでいるようなものかもしれない。 一人で生きてたら、何か当然のようにいつまででも生きてられるだろうという気がする。 その「生きてる」は、正しく生きてない。 ただ、どう生きたいかははっきりしないけれど、 「死にたくない」だけはおそらく確かだと思う。 「だってこれこれこんなに楽しいことがあるから」というような理由は 挙げても挙げても何だか納得がいかないけれど、 「死んだらものすごく怖いような気がする」というのは、私にとってはすごく真だ。 説明になっていないかもしれないけどな。 「なんで死にたくないんだろう」と考えるのは、 死を肯定的に捉えている人が死のうとするのを、 私はいかにして阻止できるだろうかということを考えて。 死を否定的に捉えている人が何かから逃げるために死を選ぼうとしていたら、 「馬鹿!!!」と怒って、何か、いくらでも言葉が届きそうな気がするけれど、 死を肯定的に捉えている人を前にしたら、 私はその人にどうしても死んで欲しくないのに、 私が何を言っても届かないのかもしれない。 絶対圧倒的に私の方が正しいのに、どうしようもなくて泣く。 そういうことがあったら、というただの妄想なのに、馬鹿か、 最近、相手はきっと善意で近づいてきてくれているのだが 私は all I want you to do is to leave me alone と思うことが多く、 しかし結局そうは言わない。そんなこと言えるわけがない。 言ったっていいんだろうと思うけど、そこまでする愛情がない。 愛のない関わりはひたすら疲れる。 愛がないのが嫌なら持てばいいじゃないと言われるかもしれないけれど、 出会う人にすべからく愛を持つことが正しいのか、よく分からない。 愛情の総量増やさないと無理だ。 私はわーーーーーー!!!!!!!って大声出して腕振り回して走って逃げて振り切りたい。 そしてもっと美しい方に行きたい。でもそこに、今のままじゃ行けないのか。 「頼むからちゃんとしよう」と人に言われ、 leave me aloneという他人への姿勢を反省し、 そうかもし昨日死んでたら色々すごく悔いが残るなと気付いて、遅いんだけど、 明日もし死んでも後悔しない今の過ごし方を・・・とか考えるものの、 たとえそういう過ごし方をできたって明日死ぬのは絶対に嫌だと思うのが正しい気がする。 でもそれは私の話で、それを人に届けることはできるのかどうか。とか。
by hummingbird08
| 2009-06-08 02:58
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