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2010年 11月 15日
しばし、もんもんとしていました。
が、その間にも毎日新しい日がやってきて。締切なども。 で、かろうじて対応。 し切れずにかなり怒られたりもあったり。 この年になって親から叱られたり。 などなどしていました。 -------------------------------------------------------------------------- 11月は助成金シーズンなのです。 来年度の活動に関して、これこれこういうことをするのでお金をいただけないでしょうかと、 財団や文化庁に書類を提出します。 で。セゾン文化財団というところが好きです。 多くの助成金は、一つ一つの企画に対して支払われるので、 例えば「鳥公園#5『さようなら、右はジェニファー左はロペス』」に対して100万円 とかいう感じなのですが(ってさらっと書いたけど、9割9分もらえないと思うのですが)、 これから作る作品に関して「この作品にはこういう意図があって、こういう意義があって」 と書くのは、私には非常にしんどいです。 作る前は、本当に小さな感覚的な予感 (分からないけど、この感覚について深くさぐることはたぶん重要で、 ここから始めたら、知らなかったところに行ける気がする、というような) しかないからです。 そういう感覚的なナイーブなものは、それをそのまま出してもおそらく作品にはならなくて、 提出する方法が必要。 で、演劇的な意義、とかいうものは方法にまつわるものだと思う。 内容とかテーマというものについては、 議論する、語り合うことってなかなか出来ない気がします。 好き・嫌いはあるけれど。 内容の扱い方、手つき、方法が適切であったか、効果的であったか、 そういうことしか、話せない気がします。 方法のないものは、どんなに素敵でも、手遊びかもしれないと思います。 だから、助成金の書類に、あらすじではなくて企画意図や狙いを書かせるのはよく分かる。 あらすじなんか聞いたって仕方ないとも思う。 でも、方法は後からしか出てこないというか、 「あの感じを手渡すにはどうしたらいいんだろ!?」という必要からしか生まれないというか、 稽古する過程でしか分かってこないと思うのです。 むしろ、稽古場でいろいろ試行錯誤する前から 「今回はこの方法論でいきます」って、そんな退屈なことあるか、というか。 試したい具体的なことは、始まる前にあるべき(べき?そっちの方がベター?や、べき?) だと思うけれど、 その多くは、やってみたら上手くいかなかったり、大したことなかったりして、 絶対変わっていくと思うのです。 だから、失敗する可能性おおいにコミという前提で、 試したいことというのは多くが、前回の試行&検証から生まれると思うので、 今まで何をやってきて、そしてそれらが一体どうだったと思うのか、 そういうことで審査をしてくれたらいいのになーと思います。 まあ、それは時間がかかり過ぎて不可能だよねーと思うのですが。 -------------------------------------------------------------------------- で。 それじゃあセゾンはどういう助成の仕方をしているかというと、 何種類かあるうちの1種類ですが、 アーティスト個人に助成をしています。 ・自分がどんな活動をしてきて ・将来の展望としてはどんなことを考えていて ・そこにいたるために具体的に次の1年はこういう活動をしていくつもりで ・ちなみに直近の公演はこれこれこういう内容だったのだが ・それはどういう演出意図があって、意義があって みたいなことを書かされます。 初めて申請するときは、かなり時間をかけて(45分くらいだったかな)面談をしてくれます。 で、ジュニアかシニアかの区分で金額は変わりますが、 ジュニアなら2年の間、年間100万円を助成してくれるそうで、 使い道は自由です。 つまり、生活費に使ってもいいということです。 生活費ほしい!とかいうことでは勿論なくて、 でももう色んなお金や生活や作ることがごっちゃなので、 例えば今読んでいる小説から次の公演のことを色々考えさせられたりとか、 旅行に行ったらまた色々刺激を受けたりとか、 何でもがつながってくるなーと思うので、 自由にできるお金というのは、とても有り難い支援のあり方だと思います。 セゾンは、ちょっと大げさに言えば、 「あなたはどういう人間ですか?どういう生き方をしたいのですか?」 というところを掘り起こして、じっくり審査して、 「よし分かった。あなたを信じて賭けてみることにしましょう!」 とあちらもリスクを負いつつ期待してくれる、 そう出来る相手をしっかり探している気がします。 税金から出ている助成金をそういう風に投資するのが無理なのは分かります。 信頼というのはとても個人的な判断で、 定量化できない、システムに組み込めないものだからです。 でも正直、企画ごとにお金を出すのって意味ありますのん?と思う。 金額的にけっこうなものであっても、でも所詮焼け石に水というか、 そのお金によってやれることが広がるというよりは、 やったー自腹切ってた分を補填できるよー!という感じで「ヂュッ」と、 一瞬で蒸発していく感触です。 なんでかというと、企画ごとの審査だと効果が検証されないからです。 助成金をもらえると、事後報告書のような形で、 「助成金をもらえたことでどういう効果がありましたか?」 というのを3行くらい書く欄があるけれど、 全っ然意味ない。読む気もないのだろう。無駄なスペースだ。と思う。 大切なのは、財務諸表をきっちり提出することで、 文化庁的にそこをチェックしないといけないのは分かる、けど、 それは表現の質が向上することと何も関係がない。 お金をもらった以上は使い道を報告する義務があるでしょうというだけのことで。 結局、文化と関われていないまま税金が使われているなーと思う。 それでも、もらえないよりもらえた方が断然いいからやっぱり申請するのだけれど、 空虚だなぁ・・・と思います。 というか、税金ちゃんと使ってー!と、もらえる可能性がある側の立場でも思います。 -------------------------------------------------------------------------- なんというか、量的に溢れすぎてしまって、収拾がつかない感じがしています。 確かなものだけが生き残って、あとはショボショボと消えてゆけばいいのに。 -------------------------------------------------------------------------- 昨日、鳥公園のワークショップ・オーディション後に飲み屋さんで、 「演劇をやる、公演に参加するってことがイージーになりすぎているよね」 という話をしました。 私は小劇場界の状況の移り変わりなどよく分かっていないのですが、 少し前は劇団というものがもっとしっかりあって、それぞれにカラーもあって、 俳優というのは劇団に所属していて、そこでだんだんに上手くなっていったりして、 あそこの劇団を観に行けばあの俳優が見られるというファンの気持ちなんかもあったりしたそうです。 それに対して今は、 多くの俳優はフリーで、劇団に所属している俳優もがしがし客演して、 公演のために集まったメンバーがほとんどという集団で作るわけなので オーディションで採られるのも即戦力になる人、器用な人、アピール力のある人で、 そのバラバラの出自の人たちが何を拠り所にするかといったら 演出家や作家、演目などの名前があるか、企画としてキャッチ―か、とかそういう一点で、 初めから骨太な(って漠然と使ってますけどまあ骨太な)作り方なんか出来ないよねという 始まり方で始まることがほとんどだ、という感じがあるそうです。 以前の状況というものは想像するしかないですが、 でも分かる気がします。 おや、面白そうかな、と思う公演に出ている役者さんの顔ぶれが、 何かどの公演でも似た感じだったりするなーとよく思います。 「これだけは見逃したくない!」という公演って、なかなかないです。 (そういう意味で、五反田団は見逃したくなかったのだけれど・・・) 役者さんが、色々な作品に出演したいと思う気持ちを批判する気はないのです。 たくさんアレコレ出ていたって、その全てにきちんと自分の役割を引き受ける覚悟で臨める、 エネルギーを持っている人もいると思う。 し、何か、たくさんやらなければ残っていられないような感じ、 というのもあるのかなぁと思います。 だけど、簡単なもの、やれるからやっちゃうー?やっとくか!というもの、 結局どうでもいいものをたくさん作るということは、 自分で自分の首を絞めていると思う。 (勿論、やっている人たちは「いける!」と思ってやっているに違いないけど) はずれが多くなるということは、演劇界以外の人から、 演劇というもの自体が見限られるということにつながる。 あったら楽しい、けどなくても平気、というものは、 やってる人たちがやめた途端になくなる。 そうやってそもそも初めっから存在しなかったも同じみたいに通り過ぎられることは、 私は耐えがたいなーと感じます。 -------------------------------------------------------------------------- なんじゃいこら!?と思うものがもてはやされていたりすると、 ごーんと沈んだ気分になって、 「いやはやしかし、人は人、自分は自分と思って、自分の思う方に行くしかないね!」 とか前向きなフリをしていたのですが、 やっぱりそれは面倒くささを回避していただけかも、と思いました。 自分の作品をつくるという小さな行動はそれはそれとして、 創作にとじこもって多くを語らずがよいわけではないだろう。 別の行動として、自分が含まれている状況に意見するのも大事。 とやっぱり思うので、 きちんと発言していこうと思います。 健やかになりましたー!とか言ってたけど全然、倦んでるじゃんと言われそうですが、 沼にあごまで浸かったまま何もしようとしていなかったのと、 腰までは浸かっているけど上半身でラジオ体操しているよくらい、違います。 -------------------------------------------------------------------------- 世の流れとずれているのかもしれませんが、 やっぱり私は長い目で愛して欲しいし、 長い目で見て愛せそうでないと、今この瞬間も愛せないなあと思います。 ま、「じゃあ長いってどのくらい?」って話になるのですが。
by hummingbird08
| 2010-11-15 12:40
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