駅の改札を出る時、
出場する時だからキップは回収されるのに
私の前を行く小さい男の子は自分のキップが出てくるのを待っていて、
彼のキップの代わりに出てきた私の定期を取って
「えっ!!!!!何だよコレ!!!???」
とものすごく驚いていたのがおかしかった。
でも、
その子のお母さんはその出来事を無視していて、
だから私もなかなか定期を返してもらえなくて、
結局男の子はよく分からない表情のまま、手を差し出した私に定期を返して、
私はとっさに笑顔になって、
でもお母さんも男の子も無言だし無反応で、
ちょっとムカついた。
そのくらいのことでムッとした自分が少し意外だったけど、
後から考えるに、
やり取りが全くないままその出来事が流されてしまったのが嫌だったようだ。
別に、謝ってもらいたかったというわけじゃないと思う。
(確かに笑顔が出たのは「いいのよこれぐらい!」って気持ちからで、
それは私が相手の「ごめんなさい」を自然に想定していたからだろうけど。)
ただ何か、リアクションが欲しかったのだ。
起こったことを認めて、共有、と言うほど大げさじゃないけど、
そういうことをしたかったということのような気がする。
私は、自分の笑顔が無駄なエネルギーだったように感じた。
あったことをなかったことにしてしまうのはひどいことなのだと思う。
そしてそれとは関係なく自分一人で思ったことで、
あるものは認めるしかないのだと、
ないことにするのは不可能なのだと、思った。