手紙をかくよ
2014-09-03T00:33:02+09:00
hummingbird08
今後の予定:鳥公園#10「空白の色はなにいろか?」1/8~11@京都芸術センター、1/14~25@横浜STスポット
Excite Blog
9月3日
http://hummingbir.exblog.jp/23305204/
2014-09-03T00:33:00+09:00
2014-09-03T00:33:02+09:00
2014-09-03T00:33:02+09:00
hummingbird08
未分類
そのことに自分で、悲しい気持ちになる。
確かに思えることを進めていくと、「あの人は信用ならない」とか、そういう方向になっていくことが多い。
人間嫌いが強まっているのか、好きになれない人に会う数が増えているのか、とか考える。
なんだかふさいでいる。
やるべきことは沢山あるのに、どれも手に付かないで、積み上がっていくのを見ている。]]>
朗読劇「8 -エイト-」
http://hummingbir.exblog.jp/22810129/
2014-07-13T11:00:00+09:00
2014-06-20T11:05:21+09:00
2014-06-20T11:00:03+09:00
hummingbird08
8
演出を担当します。
素敵な俳優さんたちが集まりました!
7月、11月の二回、公演します。
まずは7月、朗読劇として上演のお知らせです。
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『8 -エイト-』
<東京国際レズビアン&ゲイ映画祭 公式コラボイベント公演>
2009年、二組の同性カップルが『Proposition 8(提案8号)』への抗議から、カリフォルニア州を提訴した。「人を守るはずの法が、私たちの生活を侵しています。私たちは、”市民”ではないのでしょうか?」この歴史的裁判を、映画『ミルク』でアカデミー賞オリジナル脚本賞を受賞したダスティン・ランス・ブラックが脚本化。2011年の初演以来、世界各地で上演されてきた本作に、西尾佳織[鳥公園]を演出、岸本佳子[空(utsubo)]を翻訳/ドラマトゥルクとして迎えます。
今回、「8 -エイト-」の上演を決めたのは、ある「気づき」のきっかけになる場を作りたい、と考えたためです。近年日本でも、セクシュアル・マイノリティについての話題が大きくメディアに取り上げられる機会も増えてきました。しかし、実生活の中で、話題にされることは、まだまだ少ないように思われます。日本社会においては、セクシュアル・マイノリティという存在が「身近な場所に『普通』に生活している」と、まだまだ認識されていないのかもしれません。
でも、自分にとって「普通」「当たり前」と信じていることに、しばられていませんか?窮屈さを、感じていませんか?ぜひ、朗読劇「8 -エイト-」という体験を通して、今までの「普通」や「当たり前」を見つめ直して、さまざまな人々が存在しているということを、想像してみて下さい。カリ フォルニア州で争われたこの裁判の話は、あなたにとって遠いことでしょうか? 本当に対岸の火事なのでしょうか?
「8 -エイト-」が、あなたの日常に、「気づき」という波紋をおこします。
「8 -エイト-」実行委員会 一同
※ Proposition 8(提案 8 号)とは
同性婚を禁止するべく、カリフォルニア州憲法の改正を求めた提案。この提案 8 号が住民投票により採択されたことで、カリフォルニア州における 同性婚は、認められて半年で再び禁止へ。結果、多くの波紋が巻き起こった。
*
「よく分からない人が自分の隣にいたら怖い」という感覚を、否定できません。でも同時に、自分のその素朴すぎる感覚が人の存在を踏みにじっていたら嫌だなぁとも思います。反対のことが自分に起こっても悲しい。ので、知ろうとします。でも知っても知っても他人なので、ここについてはきっとどこまで行っても分かり合えないのかもしれない、という深い谷の存在をいくつか前よりクリアに感じるようになっています、『8 -エイト-』に関わり始めて三ヶ月の今。知ることで、自分は疲れて醒めていきますが、疲れは永遠ではないし、醒めた目は、世界をよりよく見られるはずだと思います。
演出・西尾佳織
*
■脚本 ダスティン・ランス・ブラック
■演出 西尾佳織[鳥公園]
■翻訳/ドラマトゥルク 岸本佳子[空(utsubo)]
■出演
稲毛礼子 兵藤公美[青年団] 松村翔子
内海正考 遠藤麻衣[二十二会] 呉城久美[悪い芝居]
黒川武彦 武田有史 西山真来 根本大介
野津あおい[サンプル] 葉丸あすか[柿喰う客] 宮崎裕海
■主催 「8 -エイト-」実行委員会
■共催 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭運営委員会
*
■タイムテーブル
2014年7月11日(金)~13日(日)
7/11(金) 19:00
7/12(土) 14:00/19:00
7/13(日) 14:00/19:00
*受付開始・開場は開演の30分前
*各回、上演後にトークイベント開催(詳細はWEB http://tokyo-lgff.org/2014/archives/350にて発表)
*未就学児の入場不可
■会場 アツコバルー arts drinks talk
〒150-0046 渋谷区松濤1−29−1クロスロード ビル 5 F
地図
http://l-amusee.com/atsukobarouh/
■チケット料金
前売 2,000円/当日 2,200円
ご予約はこちらから(西尾扱いのご予約になります)
http://ticket.corich.jp/apply/55498/002/
*
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭とは?
1992年より毎年夏に、東京にて開催。性をテーマとした世界各国の映画を日本語字幕付きで上映するとともに、ショートフィルムコンペの企画などにより、邦画の育成にも取り組んでいる。さまざまな団体と協働し、読書会からトークショーまで多種多様なイベントが開催される、セクシュアル・マイノリティをめぐる「文化祭」。『8 -エイト-』は、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭運営委員会の有志による企画。
http://tokyo-lgff.org/2014/]]>
ルーマニアでクリスと話した夜のこと
http://hummingbir.exblog.jp/22488436/
2014-04-22T13:10:16+09:00
2014-04-22T13:10:13+09:00
2014-04-22T13:10:13+09:00
hummingbird08
8
それに向けて、言葉にしたいことが色々と出てきそうなので、
久しぶりにブログを書いていこうかなーと思います。
(出演者などの公演の詳細は、たぶんもうすぐ公開になります!)
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去年初めて、ヨーロッパへ40日間行きました。
東寄りの国をいくつか回ったのですが、ルーマニアに一ヶ月弱いて、
クリスティーナという17歳の女の子の家にホームステイしていて、
なんの見返りもなく日本人を一ヶ月置いてくれるわけなので
クリスの家はかなり裕福な良いお家で、クリスも高い教育を受けた賢い子だったのですが、
彼女とナチスについて話した夜があり、
「私はヒトラーが必ずしも悪いとは思わない。共感するし、クールだとさえ思う」
と言われて私はギョッとして「なんで?」と言ったら
「だって私はジプシーの奴らが大嫌いだから。隣にいると消えて欲しいと思うから」
と言われて絶句(正確には、何か話したけれど、有効な言葉がなかった)
ということがありました。
私は、「ジプシー」というのが使うべきではない言葉だと知識として知っていて、
「ロマ」というのが「正しい」呼称だと知っていたけれど、
「ジプシー」という言葉のどの部分が「ロマ」の人たちを傷付けるのか、そういえば全然知らない、
まーでも本人が嫌だって言うんなら「ロマ」でいいんじゃないのー(私どっちでもいい=どうでもいい)、
と自分が思っていると認識したことすらなかったな、と思いました。
で、ジプシーが大嫌いなクリスを前に、
ああ今ここに大岡越前がいても何の役にも立たない!と思ったのでした。
どういうことかと言うと、感情をなだめてなんか丸く収める、みたいな、
ちょっと器がでかいとはいえ一個の人であることには変わりない人(越前)に預けてケンカ両成敗、
みたいな日本的なことは全く無効で、
個々の人間のサイズを超えた「制度」とかいうもので外側から切り分けないと、
この人たちは殺し合い兼ねない、と思ったのでした。
(この人たちは、というか、
私もロマにお金をせびられて「はよ去れ」と無視する程度のことは何度もあって、
じゃあもしも私がルーマニアの国民だったら、
つまり私の払った税金でロマを保護するというようなシステムに組み込まれたら、
無視してやり過ごすより強い感情を抱くだろうと想像するのは、難しくありません)
私はクリスのことがすごく好きになってしまったので、
彼女の中にそういう憎しみがあって、
それを生み出している状況は容易には変わらないんだろうと思うと、
なんとも言えない気持ちになる。
今まで何も思わずに通り過ぎていられたことを、そう出来なくなってしまった。
ポリティカルコレクトネスって、構築していかないと出来ないのだな、とヨーロッパへ行って思いました。
日本と違ってヨーロッパでは(アメリカは、もっと?)、みんな分かりやすく違っているから、
「私は、こうされると嫌」、「私はこうしたい」、
「じゃあ私とあなたの間では、今この時は、こうしよう」
と話し合って決めていかざるを得ない場面が多いんだと思います。
ほっといたら自分が脅かされる!とでも思わない限り、
わざわざ面倒くさい折衝と交渉を経て、約束を打ち立てようとは思わないけれど、
でも本当は日本の中だって色々違っているのだから、
「とりあえず私は平気だし、いっか!」というイチ抜けの感覚で、色々見ないフリしているのだろう。
そうしてやり過ごしていって、いつか自分が切実に交渉しないといけない場面がやって来ても、
「政治」に慣れていない私では、話ができないだろうなと思うと、怖い。
(日本の政治家という人たちも、あの人たち、交渉なんて出来るのだろうか?)
政治って、長らく遠く感じて生きてきましたが、
本当は遠いものではなく、人と人の間ならどこにでもあるものなのではないか。
「自分自分」ではなくて、もう少し他人まで含んだ視野で、
人と話して何かを決めることは全部「政治」なんじゃないか。
と、思うようになっています。
クリスと友達になって、他にも、何人も表情の浮かぶ友達ができて、
ルーマニアの人たちの問題を素通りできなくなったことは、
新しい眼鏡をひとつ手に入れたようなもので、
今まで見えていなかった世界がクリアに見えるようになってしまって、苦しい。
同じことが、『8』という作品に取り組み始めたら、
セクシュアルマイノリティの問題に関して私に起こっていて、
ここんとことっても、頭の中がディスオーダーです。
私にとっての秩序は、セクシュアルマイノリティの存在をほぼ省いた構成になっていたので
(ということを自覚したのも、最近です)、
言葉ひとつ喋るのにも、しなくていい配慮を経由したりして、一人で勝手に、大変です。
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一人で静かに書く
http://hummingbir.exblog.jp/22136714/
2014-02-25T23:49:37+09:00
2014-02-25T23:49:14+09:00
2014-02-25T23:49:14+09:00
hummingbird08
未分類
自分に近過ぎる人や物事に、ちょっと参っている。
でもそれは、相手に参っているというより本当は、自分自身に参っているんだと思う。
近過ぎる、と感じるほど近づいているのは私だ。
近過ぎると感じるなら、自分が離れたら、近過ぎなくなる。
なのになかなかそう出来なくて、摩擦が起こる。
私が起こしているし、起こさせている。
その逆も然りで、全てが、お互いのことだ。
言葉を書くことは、私にとってとても大切なことだった。
大学生のときにブログが流行って、なんとなく始めて、それ以来ずいぶんよく書いてきた。
あるまとまり(考えや感じたこと)を書いて、それを人が読み得るということが、新鮮で嬉しかった。
誰に求められているものでもなかったので、書かなくちゃ、ということは全然なく、
書きたいことが自然と生じたときに書いていた。
でもツイッターを始めたら、そっちが面白くて、ブログを書かなくなった。
だけど最近、ツイッターの速くて近いことって、脅威だと思った。
ずいぶん私はツイッター、気に入っていたんだなと改めて思ったけれど、
気付いたら、その速さや深度や量感のアウトプットの仕方に、私の方が添い過ぎている。
言葉を前のように、書けなくなっている、と感じた。
書くことは、大変なことだ。
hardというだけでなく、greatなこと。
なんで英語で言うのか、分からないけど何となく、言語をまたいだ方が表せる気がしているのか、
両方の意味を一語に含んでいると思うのは、sublimeとか、awesomeとか。
古文でいったら、「畏し」。
今、この日々を一緒にやっているわけではない人、
離れたところにいる、尊敬する人たちがそれぞれに静かに、
誰に見せるためでもなく記していた言葉にたまたま触れて、美しいと感じた。
読むうちにスースー涙が流れた。
泣いてばかりいる。
私は、自分の言葉をずいぶん手近なところへ引きずり下ろしてしまっていたと思う。
書くことは、おそろしい。
何かを否定するとき、人はその否定するものに似る。
言葉を使ってそれをしようとするときに特に、そうなってしまう気がする。
存在に対する畏れと敬意が、言葉をやわらかにする。
もう一度、一人で静かに書くことに戻る。]]>
『女生徒』
http://hummingbir.exblog.jp/21461484/
2013-12-22T23:59:00+09:00
2013-11-14T02:56:46+09:00
2013-11-14T02:56:46+09:00
hummingbird08
鳥公園
2011年4月に小鳥公園#1として上演した『女生徒』を再演します。
再演のつもりで最初は考え始めましたが、全然ちがう新作になりそうです。
何せまず、二人芝居だったものが一人芝居になります。
「女性クリエイター」というくくりで、
他には「したため」さん、「辻企画」さんという京都の二団体が参加するそうです。
とても久しぶりに、というか、ちゃんとした公演としては初めて、
森さんと私の二人きりでつくります。
きっと鳥公園にとって何か分岐点になるような、大事な公演になると思います。
よかったら、是非いらしてください。
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『女生徒』
〈gate #11参加〉
原作:太宰治
テキスト・演出:西尾佳織
出演:森すみれ
12月21日(土)15:00 / 19:00
12月22日(日)11:00 / 15:00
全4ステージ
KAIKAにて
京都市下京区岩戸山町440番地江村ビル2F
阪急「烏丸駅」23番出口、京都市営地下鉄「四条駅」6番出口より
http://www.fringe-tp.net/kaika_access.html
前売1700円 当日2000円
チケットのご購入はこちらから イープラス(11月15日発売)]]>
鳥公園#8「カンロ」
http://hummingbir.exblog.jp/21461445/
2013-11-02T23:59:00+09:00
2013-11-14T02:40:54+09:00
2013-11-14T02:40:18+09:00
hummingbird08
鳥公園
『カンロ』
〈MITAKA"Next"Selection14th参加〉
2013年10月25日(金)〜11月2日(土)
全11ステージ
三鷹市芸術文化センター 星のホールにて
作・演出:西尾佳織
出演:森すみれ(鳥公園)、浅井浩介(わっしょいハウス)、伊藤俊輔(ONEOR8)、笹野鈴々音、武井翔子、実近順次、鳥島明(はえぎわ)
これはたぶん、ストーカー的に誰かを好きな女の人の話で、
その恋は全く報われていない、報われる気配がない
(というか相手が実在するのかも怪しい)、
のだけれど、それゆえにかえって独自の深化をとげて、
不思議な塩梅で彼女を支えています。
それは、執着といえば執着で、
でも不思議とねじくれたところなくスキッとしている。
他人に迷惑かけてない。ヘルシー!
「いい子にしていたからこれをあげましょう」なんてちゃちな交換条件じゃなく、
忘れていた頃、
すっかり擦り切れて、ヤサグレかけていたところに降りそそぐ、
甘い露。遠いご褒美。
カンロ、カンロ。
三鷹市芸術文化センター公演ページ]]>
「蒸発」
http://hummingbir.exblog.jp/21461434/
2013-09-16T23:59:00+09:00
2013-11-14T02:34:24+09:00
2013-11-14T02:34:24+09:00
hummingbird08
鳥公園
〈東京芸術劇場主催・芸劇eyes番外編第2弾「God save the Queen」参加〉
2013年9月12日(木)~9月16日(月・祝)
全7ステージ
東京芸術劇場シアターイーストにて
作・演出:西尾佳織
キャスト:森すみれ(鳥公園)
野津あおい(サンプル)
作品紹介:
隣家の男を双眼鏡でのぞく、子供のような女がいる。
彼女は男の家のテレビを見ている。
音が聞こえないので、独自に音声を付け加え、同時中継をしている。
いつの間にか、彼女はそれを「役割」のように思っている。
同居の女たちがそれを聞く。
初めこそ奇妙に思ったが、いつしか慣れて、気にかけなくなっている。
そしていつしかその声が、彼女たちの唯一の情報源になっている。
三日経ったら三日分、一年経ったら一年分慣れ親しんで、なりゆきはどんどん重くなる。
私の中のなりゆきの分量が増えて、もはや私はなりゆきから出来ている。
でもある日、断ち切られる。
蒸発するみたいに、物事が終わる。
焼き付いた影に、ぎょっとする体もだらしなく垂れ下がって、揺れている。]]>
七月
http://hummingbir.exblog.jp/20741199/
2013-07-17T22:58:29+09:00
2013-07-17T22:57:56+09:00
2013-07-17T22:57:56+09:00
hummingbird08
未分類
カトリ企画の教会版と、鳥公園の秋の二本の新作(にまつわる、主には制作的なこと)が押し寄せてきていた。
この数日、胃が痛い。
これはちょっとよくない。
宙吊りのままになってしまっている色々な事、約束などがある。
でも今日は、芸劇の台本を少し書いた。
あ、なんか今!と思ったので。
やりたいこと、作品が中心にあって、そこから少しずつ周りの色々なことが決まっていく。
順番を間違えてはいけない。
大切なことを、純粋にやりたい。
]]>
カトリ企画UR『紙風船文様 vol.2』
http://hummingbir.exblog.jp/20674754/
2013-07-07T23:59:00+09:00
2013-07-03T03:27:17+09:00
2013-07-03T03:21:48+09:00
hummingbird08
個人の活動
再演するつもりで始めたけれど、再演じゃなくて新作になりました。
(再演と新作、どっちが優れているとかいうことはなく、ただ、再演と新作というのは全く別のものです)
会場が二ヶ所あるので、ご注意ください。
範宙遊泳の山本卓卓さん演出バージョンも始まります!
* * *
カトリ企画UR 『紙風船文様 vol.2』
出演: 黒岩三佳 武谷公雄
作: 岸田國士
演出: 西尾佳織(鳥公園)
【公演日程】(西尾演出版)
7/5(金)16:00 / 19:30
7/7(日)16:00 / 19:30
→会場:日本基督教団 巣鴨教会
地図 http://img.blog.sugamo-church.com/20091014_3208841.jpg
〒170-0005 東京都豊島区南大塚1-13-8
JR山手線「大塚」徒歩10分、東京メトロ「新大塚」徒歩5分
7/25(木)15:00 / 19:00
→会場:atelier SENTIO( アトリエセンティオ)
地図 http://www.atelier-sentio.org/atelier_SENTIO/mapdata.html
〒170-0011 東京都豊島区池袋本町4-29-10 1F
東武東上線「北池袋」徒歩3 分、JR埼京線「板橋」西口徒歩6 分
※一般的な地図上だと、東武東上線「下板橋」の方が近いように見えますが、
駅出口の位置の都合、アトリエまでのアクセスがわかりにくいのでご注意ください。
【料金】
予約1,500円 当日2,000円
【ご予約方法】
7/5、7の教会バージョンはこちらから↓
http://ticket.corich.jp/apply/45335/005/
7/25のアトリエ・センティオバージョンはこちらから↓
http://ticket.corich.jp/apply/45334/006/
山本卓卓さん演出版の日程については、こちらをご覧ください↓
カトリ企画のHP http://www.katorihidetoshi.com/kk/
こりっち http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=45334]]>
遠さとわしづかみ
http://hummingbir.exblog.jp/20643006/
2013-06-26T16:19:00+09:00
2013-06-26T16:29:57+09:00
2013-06-26T16:20:05+09:00
hummingbird08
未分類
いま観光全然したくない。
プラハ、ライプツィヒ、ベルリン、シビウにいる間ずっと、自分が経験したことと、作品として書かれるものの距離について考えていた。
色々感じること考えることがあって、でも今書くのは、速すぎる。
それをすると、私のダイレクトな体験だからこそ、私の(ヨーロッパで触れた色々に対する)当事者でなさが浮き上がってしまって、なにか下品なこと、利用か消費のようなこと、とても届かない卑小なことになるぞという感があった。
(北九州の小倉で作品つくろうとしたときに、初めて同じこの感じを持った)
時間がふり積もるのには時間がかかる。
でも一方で、自分のこと、本当に直接的に自分を通した小さな小さなことを書いていいんだな、というかそれしかないのか、と、改めて感じた。
プラハのカフカ博物館でそう思った。
カフカほど、自分の生きている感覚の本当に本当に微細なひとところから普遍に到達している人、いない気がする。
肉が焦げる目で内側を見つめていつか皮膚がぐるんと裏表ひっくり返ったような気がする。
速さに属すること、反応、観察、記録というようなことも重要だ。
あっという間に過ぎ去る短い一瞬が連なって自分の中に沈殿して初めて、もっと大きな時間の流れに触れることができる。
ぼんやりしてても瞬間はどんどん過ぎる。
この旅行中、大江健三郎『あいまいな日本の私』、荒木経惟『天才アラーキー 写真ノ方法』、宮台真司『日本の難点』、スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』をちょっとずつ同時進行で読んでいて、その読書の体験とヨーロッパでの毎日の体験が織り合わさって私の時間になっている。
だから、まずは「この本たちを扱う」という仕方でだったら、適切な遠さで、何かをねじ曲げる強引な、エゴイスティックな強さを回避しながら、ヨーロッパでのことを扱い得るんじゃないか。
それも、「本番」にダイレクトに向かうんじゃなく「まずはプレ稽古としてね」という謎の遠足(?)みたいな感じで。
プレ稽古をすごく純粋な楽しい形でやれる予感があって、わくわくする。
遠足や散歩は大事だ。
目的意識に直進することに、私たちは慣れすぎている。
そういう速さは、遊びをなくしてしまう。
シビウでみんなといて、楽しかったけど、私は楽しくなくてもいいんだなあと昨日レストランで思った。
シビウでの時間を否定するわけではなくて、私はすごく楽しかった。
でも、楽しくなくてもいいみたいだ。
みりみりと、回復、という感じがしたのだ。]]>
言葉のこと
http://hummingbir.exblog.jp/20614770/
2013-06-19T17:07:00+09:00
2013-06-19T17:12:32+09:00
2013-06-19T17:07:26+09:00
hummingbird08
未分類
最初に行ったプラハでは、けっこう英語が通じた。
私程度の英語力でも意外となんとかなるものだわ!と気を良くした。
一人で海外に来るのは初めてだったので、空港からバスに乗って、乗換やホテルの場所を道行く人に聞いて、無事にチェックインして、観光して、プラハからライプツィヒに行く列車の券を買って・・・とかそういうことが出来るだけで、達成感を覚えた。
でもドイツに入ってから、英語が通じない場面がいきなり増えて、表示されている文字の意味もほぼ分からなくなった。
文字が読めないというのがこんなに不安なこと、と初めて知った。
自分の英語力の心配ばかりしていたけれど、「それ以前に、英語って言語がどこでも通じるわけじゃないんだ!!!」と気付いた。
「英語が通じない国がある」と知っていたけれど、分かっていなかった。
「いやいや、とはいえ通じるでしょ~」とどこかで思っていた。
でも通じない。
「英語が通じない国がある」と想像できないくらい、私には「英語という言語を選択して学習した」という意識がまるでなかった。
(まあ実際、選択してない)
でも英語は、あくまで沢山ある言語のうちのひとつに過ぎないんだった、と思うようになった。
ライプツィヒで横堀くんと合流して、本当にほっとした。
ベルリンでほんの少しだけ歩いたトルコ人街で、シンパシー(?)を感じた。
トルコ人街では、トルコの放送の電波をキャッチするために、アパートのほとんど全てのベランダにパラボラアンテナが、トルコの方角に向けて設置されていた。
ベルリンに住んでいるトルコ人の中には、ドイツ語ができない人もまあまあいるらしい。
言葉の通じない国に、ビジネスのためお金のために暮らすというのは、どういうことなんだろう。
ルーマニアに来て、また英語が通じるようになった。
でもそれは、フェスティバルのスタッフと、ボランティアに参加しているルーマニア人の高校生たち(のうち、特にカンパニーアテンドなどの仕事につく子?)が英語を話せたからで、ルーマニアのどこでも英語が通じるわけではない。
と言っても、まあかなり通じる。
ドイツと比べて、ルーマニアの人たちは英語で話しかけられることにだいぶ慣れているし、英語を話せることがステイタスのようだ。
(ドイツでは、「は?イングリッシュ?わっかんねーよ、ドイツ語話せよ」みたいなこともままあった)
ホテルやスーパーなど、私が滞在中にアクセスする場所にいる若い人たちは、片言であれ大体英語が通じる。
でもタクシーのおじちゃんには、ほぼ英語は通じない。
レストランのウェイターにもあまり通じない。
(レストランには、フェスティバル期間を狙って地方から出稼ぎに来ているルーマニア人が多いと聞いた)
ボランティアに参加している(主に)高校生たちは、かなりいい教育を受けている層だ、ということが、一緒に働いていてだんだん分かってきた。
彼女たち(ボランティアには女の子の方が多い印象だった)は私なんかよりずっと英語が堪能で、スマートに会話ができる。
英語に加えて、ドイツ語かフランス語が多少できる子も少なくない。
私の英語は、「英語はさっぱりです!」という日本のカンパニーアテンドでは、必要最低限の意思疎通でお役に立てることもあったけれど、半数以上がロンドン在住のヨーロピアン(みんながイギリス人というわけではなくて、国籍は様々だった)で、日本人の方たちも私より英語が断然できる"THE BEE"の東京芸術劇場チームでは、ほぼ役に立たなかった。
特にヨーロピアン同士で話しているときは、私が言葉を挟むととたんに幼い内容を、のろいスピードで話す会話になってしまうので、申し訳なくて、微笑みながらただ、ちんまりしていた。
伊藤比呂美の『家族アート』の中に、主婦たちが通う熊本の英会話教室についての描写があって、幼い英語を喋ってわたしは赤ん坊のようになる、ということが書かれている。
英語教師の前で、言いたいことを言えなくて、ああううと喃語のような英語を話し、英語教師がわたしの言葉の間違いを一つひとつ、おもらしをした赤ん坊のお尻を母親がぬぐうように優しく、正してくれる。
伊藤比呂美にとって、それはとても恥ずかしいんだけれど同時にものすごい快感、という話。
私にとっては、快ではなかった。
私は幼児のようにありたくなかった。
けれど、結果的にはそういう感覚が常につきまとった。
言いたいことは沢山あるのに、言えなくて、自分の英語力で言えることだけ話すようになる。
そうすると「シビウの人はみんなフレンドリーでカインドで、私はこの街が大好きだ」とか「この滞在は私にとってもとてもインポータントなイクスピリエンスになった」とか、超ざっくりした、一番手始めのことしか喋れなくて、私は終始笑顔で朗らかになる。
シビウの人と街とフェスティバルが好きだ。
でもそこにとどまらず、心はもっとコンプリケイティドででディフィカルトなことを感じている。
ただ、それを表に現す回路が私にはなくて、朗らかで温かい交流ばかり、ある。
歯がゆい。
幼い言葉に引きずられて、私は自分の思考まで幼くなっていると感じる。
ルーマニア語には、フランス語、イタリア語、ロシア語、ドイツ語、いろいろな言語が流れ込んでいる。
言葉に、国と国との政治的な力関係の痕跡が見える。
日本のことをよく考える。
日本と他のアジア諸国とのこと、日本とアメリカのこと、が気になっている。]]>
わたしたちは米の粒
http://hummingbir.exblog.jp/20442353/
2013-05-14T20:43:00+09:00
2013-05-16T00:25:42+09:00
2013-05-14T20:43:42+09:00
hummingbird08
未分類
当然、完食できないので、残した。
食べ物を残すことに抵抗がある。
私が米なら食べてほしい。
何口か食べて残されるおにぎりを見ていて、自分が食べてもらえる側に入っていればよいというものではないと思う。
食べられた粒も、食べられなかった粒も、変わらない。
当然のように残されて棄てられることが問題だ。
自分が生き延びることに必死だけれど、そうやってからがら一人生き延びてそれが、何だろう?
もちろんそれが、とても大変ではあるのだけど、
今どうしてこうなっているのか、
これからどうなっていきたいのか、
根っこのところと遠いところを見ないと、似た者同士で殺し合いさせられてしまう。
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人をうらやみすぎて
http://hummingbir.exblog.jp/20347926/
2013-04-27T12:08:34+09:00
2013-04-27T12:08:11+09:00
2013-04-27T12:08:11+09:00
hummingbird08
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動物としてのプログラム
http://hummingbir.exblog.jp/20337625/
2013-04-25T14:56:00+09:00
2013-04-25T15:02:41+09:00
2013-04-25T14:56:55+09:00
hummingbird08
未分類
その流れで自然と、男女の違いについて考える。
友人が、「中学生男子は6時間に1回激しいリビドーに襲われている」と言っていて、
え、そんなに!?大変過ぎるだろ!と思った。
しかも、それをまあ大抵は自慰によって解消するんだろうけど、
そうすると深い罪悪感が訪れるそうで、
それは、「だから自分でするんじゃなくて、早く相手を見つけなさいね!」
と仕向けるために、そうなっているんだろうか?
(それとも「何となくモラルに反することをしてる気がする」っていう、文化的、後天的な罪悪感なのかな?)
いずれにせよ、一日に4回も性的衝動に襲われて、そして解消するたびに落ち込んじゃうとしたら、酷だ。
女性の場合は、生理の来るちょっと前から期間中あたりは気分が落ち込むけれど、
あれももしかして、「ああ、また今月も妊娠できなかったわね……」
という方向に促されているんだとしたら、ちょっとおそるべしだ。
*
話は変わって、モチベーションを高める筋肉というのがあるらしい。
前に、手塚さんがおっしゃっていた。
人がモチベーションの高い状態にあるときにはそこの筋肉が働いていて、
だから逆に、モチベーションが低いときには、
そこの筋肉を稼働させることで、モチベーションを人為的に高められるそうだ。
肉体と精神は連動している。
見えるものと、見えないものが、連携的に動いている。
心や感情のことはよく分からない。思考回路も。
そういう見えない、形のないものが相手だと、ついついすり合わせようとしてしまったりする。
だけど、例えば体の作りの違いをすり合わせようとは思わない。
「違うな」とすぐ納得できて、そこから「じゃあどういう風に違うんだろう?」に進んでいける。
(・・・ていうか、すり合わせるってなんだ?デコボコしてるもの同士をすり合わせたら、凹凸が研磨されて、粉(?)とか出そう。なんか怖い。そいで、削られてツルツル平らになった面同士をピッタンコに合わせるのだろうか。何のために?)
きっと、動物としてそうプログラムされているというのもあって、
もしくは私がそういうことばかり気にしているせいか、
どうも色々なことがセックスに回収されてしまうような気がする。
そいでなんか、「結局人と人は分かり合えない」とか、反対に「色々小難しいこと言ってたって、所詮人間なんてそんなもんだよ、それが全てだよ(肯定的なニュアンスで)」みたいなことになってしまう。
だけど大事なことは、その周辺に漂っている気がする。
伊藤比呂美の詩を読んでいると、いつもその漂っているものを感じる。
漂うもの、浮かび上がるもの、滲み出すものは、
そのものを直視することが出来ない。描くことも出来ない。
行為の端々に感じる、情緒のようなもの。
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前世
http://hummingbir.exblog.jp/20334934/
2013-04-25T00:12:01+09:00
2013-04-25T00:11:41+09:00
2013-04-25T00:11:41+09:00
hummingbird08
未分類
・ハンナ=アーレント
・浅間山荘事件
・西尾佳織
考えること(自己懐疑から始まる、内省)を強要してしまう厳しさ、潔癖さ
何かを否定しようとするとき、人はその否定しようとするものに似てしまう。「正しさ」について考えようとする高橋源一郎自身も、自分の言葉に充満する息苦しさに気付いて、慌ててそのことに言及している。でもそれで、いいのだと思う。というか今のところ、それしかやり方が見付からない。太田さんの言う「正反の土俵に乗らないこと、負を引き受けてじっといること」をずっと考えているけれど、どうしたらいいのか、まだ分からない。晴れていない日の方がものがよく見える。その「晴れていない」に「くもり」という新しい名前をつけるようなこと、新しい言葉を生み出すこと、考えつづけていきたいけれど、そう簡単なことではない。焦ってはいけない。
ハンナ=アーレントの指摘する世界危機
①戦争と革命による危機。それにともなう独裁とファシズムの危機。
②大衆社会という危機。すなわち他人に倣った言動をしてしまうという危機。
③消費することだけが文化になっていく危機。何もかも捨てようとする「保存の意志を失った人間生活」の危機。
④世界とは何かということを深く理解しようとしない危機。いいかえれば世界そのものからも疎外されているという世界疎外の危機。
⑤人間として何かを作り出し、何かを考え出す基本がわからなくなっているという危機。
私 彼女の前世はハンナ=アーレントだったのかもしれない、と今日ふと思った。
自分が卑屈にならずにいられるように、過ごす。
* * *
二年ちょっと前くらいに使っていたクロッキー帳が出てきて、そこに書いてあったメモです。
色々な意味でドキリとした。
何故、前世がハンナ=アーレントだったかもと、思ったのか……。
(でも心当たりはある)
もはや自分がどういう状態にあったのか覚えていないけれど、一生懸命なにかを考えようとしていたことは感じられて、うけた。
必死に外側のものを借りてきて、自分のことを考えている。
きっと心がなにか、危機的状況だったんだろう。
あと、この頃からもう、人称を変えて言葉を人から引き剥がそうということを考えていたっぽい。
数年前の自分のことはもう、他人くらい分からない。]]>
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