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2013年 03月 11日
9月、10月、3月の鳥公園の公演に向けて、出演者募集オーディションをやっている。
昨日は二次選考。 これまで3回?4回?(わすれた)オーディションやって、 でも毎回「ワークショップ・オーディション」だったんだけど、 今回は初めて「オーディション」としてやっている。 今のところ、これはとてもよかったと思っている。 いつも、(今回も、) 「参加してくれた人にどのくらい満足してもらうことを目指すか?」 ということを考えてしまっていた。 でもそれは、実は問題にすることじゃなかったと思う。 なんでかというと、オーディションって何のためのものかといったら、 鳥公園の作品を一緒につくれる人を探すためのものだからだ。 「何か持ち帰ってもらえたら」と言うとなんか聞こえがいいけれど、 そこにエネルギー割いて親切にしても、 誰のためになるのかよくわからない。 というか、つくりたい作品にまっすぐ向かっている方が、 受け取れる人はたくさん受け取って帰る。 (とはいえ、今、力がある人とだけしかやれないわけじゃないと思う。 「自分の作品つくりたい」という欲求と、つながっているけど少し別の場所で、 俳優を育てたい、それが演出家として育ててもらうことでもある、という思いがある。 オーディションじゃない純粋なワークショップを、今年どこかでやりたい) 他人のことを、どこまでも引き受けることが出来るわけじゃないということを、思う。 例えば、オーディションに参加してもらって、 一回やってもらって「こらあかんわ」ということがある。 審査云々の前に、舞台に立つということ、相手役あっての自分だということ、とか色々、 この人は知らない状態なのだなと思って、 そういう話をし出したらキリがないと分かっているけど言わずにおれなくて、言う。 でもすぐ時間が来る。 助かった、参った、しかし終わった、と思う。 その人が今後演劇とどう関わっていくのかは分からない。 出会ってしまったら無視できなくて、限られた時間だけ関わりが生じる。 だけどもしかしたら、死ぬまでにまたどこかで会うこともあるのか、それも分からない。 ところでこれはオーディションの話ではないけれど、 観客として観て、本当に許せないと思った作品があって、 それは趣味嗜好とかの話では決してなく、 他人の存在を否定する作品であって、 私は心底怒りが湧いて、もう本当にあの人演劇やめてほしい作品つくらないで欲しいと思った。 今も思っている。 でもそういう感情を持ち続けていると自分が不健康になるので、 もう金輪際、一切の関わりを絶とうと思った。 しかし一方で、あれを知ってしまった者として、 自分が関わりたくないからシャットアウト、無視決め込むというのは、 今後も出会ってしまう人がいるだろうに、正しいのだろうか、とも思った。 といって、シャットアウトしなかったら何かできるのかと言ったら、できない気がするけれど・・・・・・。 という話を友人にしたら、友人は、 「そいつは相当カルマが悪いな」と言った。 「しかしそれはそれとして、そいつをシャットアウトすることに関して何故あなたが罪悪感を持つのか?聖人君子でも目指しているのか?」と言われた。 確かに。と思った。 「来世でがんばれ!(今世は知らん)くらいに思っとけばいいんじゃないの」と言われて、 ひょーと風が吹いて清々しくなった。 オーディションの話から、つい忘れられない邪悪さについての話になってしまったけど。 オーディションやって、いいこともあるけど、げっそりすることの方が多い。 応募してきてくれる方の大半は、鳥公園を観ていない。 あーあ!と思うけど、それは応募してきてくれる方を責める気持ちというより、 全然観てもらえてないんだなーもっと頑張らなくては、という気持ち。 でも、観てないにしても、 いざオーディションに来てみてもらうと、 「えーとたぶんあなたのやりたい演劇と鳥公園の作品は全然ちがいますよね・・・?」 と思うことが多々あって、 そういうときは、役者の人って自分の仕事ってものをどう考えてるんだろう?と思う。 これは、もうちっと選べよという気持ちと、 でも作家と違って、自分の「よし」とするものに囚われ過ぎないから生まれる可能性がある、のか・・・? という気持ちと、両方。 あと、これは演劇とは関係ないマナーのことで、 非常に程度の低い問題だけど、 連絡をきちんと出来ない人が多いなと毎回思う。 無断欠席とか、当日になって直前にメールで連絡とか、勘弁してほしい。 どうして最低限の気遣いができないのだろう。 そういう人とは一緒に作品つくれる気がしない。 自分の欲求を知らない人が多すぎるように思う。 きちんと引き受けて、自分の足で立つためには、 自分の求めてるものを分かっていないと無理なんじゃないのか、と思う。 これは演劇に限らず思うこと。 そんなだから、実施しておいてなんだけど、 実はオーディションにあまり期待していない。 いい人がいなかったら、一人も取らないこともあり得る。 それでもちょっとは、期待している。 よい出会いがあったらめっけもんだ、くらいには思っている。 めっけもんがあるかもしれないと思うからやっている。 実は、今までのオーディションで取った人(そして継続的に出てもらってる人)は、 鳥公園観たことなくて来た人も多かった。 ネガティブなことを多く書いてしまったけれど、 私は信というのは不信の後にやってくると思っている。 不信のない人(自分で考えない人)は信じられない。 がっかりすることも多いけど、自分の足で立って、他人のことを考えられる人もいる。 って、文字にすると当たり前すぎますが。 (でも、当たり前に思えることが当たり前として通用しなかったりするので、 ときどき本当に演劇界というものが嫌になる) いいも悪いもひっくるめて、オーディションは自分の勉強の場でもある。 作品として完成させなくちゃ!というプレッシャーがゼロで、 演出家として役者さんにどうアプローチできるかを試せるのは、楽しい。 いいなぁと思う役者さんとだと、試行が楽しい。 そこには人と人の思いやりや想像力がある。 来週の三次選考は、ワークショップ形式で、 より普段の稽古に近い形でやります。 楽しみにしている。 がんばろう。 参加していただく方、よろしくお願いいたします。
by hummingbird08
| 2013-03-11 14:31
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