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2013年 06月 19日
ヨーロッパに来て、言葉の大きさを痛感している。
最初に行ったプラハでは、けっこう英語が通じた。 私程度の英語力でも意外となんとかなるものだわ!と気を良くした。 一人で海外に来るのは初めてだったので、空港からバスに乗って、乗換やホテルの場所を道行く人に聞いて、無事にチェックインして、観光して、プラハからライプツィヒに行く列車の券を買って・・・とかそういうことが出来るだけで、達成感を覚えた。 でもドイツに入ってから、英語が通じない場面がいきなり増えて、表示されている文字の意味もほぼ分からなくなった。 文字が読めないというのがこんなに不安なこと、と初めて知った。 自分の英語力の心配ばかりしていたけれど、「それ以前に、英語って言語がどこでも通じるわけじゃないんだ!!!」と気付いた。 「英語が通じない国がある」と知っていたけれど、分かっていなかった。 「いやいや、とはいえ通じるでしょ~」とどこかで思っていた。 でも通じない。 「英語が通じない国がある」と想像できないくらい、私には「英語という言語を選択して学習した」という意識がまるでなかった。 (まあ実際、選択してない) でも英語は、あくまで沢山ある言語のうちのひとつに過ぎないんだった、と思うようになった。 ライプツィヒで横堀くんと合流して、本当にほっとした。 ベルリンでほんの少しだけ歩いたトルコ人街で、シンパシー(?)を感じた。 トルコ人街では、トルコの放送の電波をキャッチするために、アパートのほとんど全てのベランダにパラボラアンテナが、トルコの方角に向けて設置されていた。 ベルリンに住んでいるトルコ人の中には、ドイツ語ができない人もまあまあいるらしい。 言葉の通じない国に、ビジネスのためお金のために暮らすというのは、どういうことなんだろう。 ルーマニアに来て、また英語が通じるようになった。 でもそれは、フェスティバルのスタッフと、ボランティアに参加しているルーマニア人の高校生たち(のうち、特にカンパニーアテンドなどの仕事につく子?)が英語を話せたからで、ルーマニアのどこでも英語が通じるわけではない。 と言っても、まあかなり通じる。 ドイツと比べて、ルーマニアの人たちは英語で話しかけられることにだいぶ慣れているし、英語を話せることがステイタスのようだ。 (ドイツでは、「は?イングリッシュ?わっかんねーよ、ドイツ語話せよ」みたいなこともままあった) ホテルやスーパーなど、私が滞在中にアクセスする場所にいる若い人たちは、片言であれ大体英語が通じる。 でもタクシーのおじちゃんには、ほぼ英語は通じない。 レストランのウェイターにもあまり通じない。 (レストランには、フェスティバル期間を狙って地方から出稼ぎに来ているルーマニア人が多いと聞いた) ボランティアに参加している(主に)高校生たちは、かなりいい教育を受けている層だ、ということが、一緒に働いていてだんだん分かってきた。 彼女たち(ボランティアには女の子の方が多い印象だった)は私なんかよりずっと英語が堪能で、スマートに会話ができる。 英語に加えて、ドイツ語かフランス語が多少できる子も少なくない。 私の英語は、「英語はさっぱりです!」という日本のカンパニーアテンドでは、必要最低限の意思疎通でお役に立てることもあったけれど、半数以上がロンドン在住のヨーロピアン(みんながイギリス人というわけではなくて、国籍は様々だった)で、日本人の方たちも私より英語が断然できる"THE BEE"の東京芸術劇場チームでは、ほぼ役に立たなかった。 特にヨーロピアン同士で話しているときは、私が言葉を挟むととたんに幼い内容を、のろいスピードで話す会話になってしまうので、申し訳なくて、微笑みながらただ、ちんまりしていた。 伊藤比呂美の『家族アート』の中に、主婦たちが通う熊本の英会話教室についての描写があって、幼い英語を喋ってわたしは赤ん坊のようになる、ということが書かれている。 英語教師の前で、言いたいことを言えなくて、ああううと喃語のような英語を話し、英語教師がわたしの言葉の間違いを一つひとつ、おもらしをした赤ん坊のお尻を母親がぬぐうように優しく、正してくれる。 伊藤比呂美にとって、それはとても恥ずかしいんだけれど同時にものすごい快感、という話。 私にとっては、快ではなかった。 私は幼児のようにありたくなかった。 けれど、結果的にはそういう感覚が常につきまとった。 言いたいことは沢山あるのに、言えなくて、自分の英語力で言えることだけ話すようになる。 そうすると「シビウの人はみんなフレンドリーでカインドで、私はこの街が大好きだ」とか「この滞在は私にとってもとてもインポータントなイクスピリエンスになった」とか、超ざっくりした、一番手始めのことしか喋れなくて、私は終始笑顔で朗らかになる。 シビウの人と街とフェスティバルが好きだ。 でもそこにとどまらず、心はもっとコンプリケイティドででディフィカルトなことを感じている。 ただ、それを表に現す回路が私にはなくて、朗らかで温かい交流ばかり、ある。 歯がゆい。 幼い言葉に引きずられて、私は自分の思考まで幼くなっていると感じる。 ルーマニア語には、フランス語、イタリア語、ロシア語、ドイツ語、いろいろな言語が流れ込んでいる。 言葉に、国と国との政治的な力関係の痕跡が見える。 日本のことをよく考える。 日本と他のアジア諸国とのこと、日本とアメリカのこと、が気になっている。
by hummingbird08
| 2013-06-19 17:07
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